「流浪の月」感想レビュー|異なる視点から見る真実と事実が切ない

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「流浪の月」という作品は、一見すると少女を連れ去った青年と被害者の少女の物語です。しかし、物語を進めるうちに、この単純なレッテルを超えた複雑な人間関係と感情の交錯が描かれています。

「流浪の月」感想レビュー|異なる視点から見る真実と事実

救世主と見える青年の真実

物語の中心にいるのは、佐伯文と家内更紗の2人です。ある視点から見ると、佐伯文は少女を連れ去った青年です。彼は社会的に非難される存在であり、誰もが彼を疑いの目で見ます。

しかし、更紗の視点から見ると、彼は更紗を救った優しい青年であり、更紗にとっては救世主なのです。

この二重性こそが、「流浪の月」の核心です。生きていると、「いやーそれ違うんだよな」と感じることがありますよね。この作品は、その感覚を見事に表現しています。どの視点から見ても間違いではないのです。

視点の違いと伝わらない思い

更紗の視点では、文はただ一緒に居たい存在であり、同じ時を過ごしたい大切な人です。しかし、どれだけ説明しようとしても、周囲の人達は彼女を「かわいそうな経験をした被害者」としてしか見ません。

更紗が常に感じるのは、腫れものに触るような対応で、本当の思いは伝わりません。



更紗の叫びは、私たちが日常生活で感じることとも重なるのではないでしょうか。誰かに分かってほしい、自分の真実を認めてほしいという願い。しかし、現実にはそれがなかなか伝わらないのです。

事実と真実の違い


こちらはnoteから引用させていただきます。

事実とは、客観的に証明できる出来事や事柄を指します。誰が見ても同じように認識できるものであり、議論の余地はありません。

一方、真実とは、主観的な解釈や価値観に基づいた真実を指します。人によって異なる捉え方があり、客観的に証明できるとは限りません。

事実と真実の違いを考える|maomao(https://note.com/maomaoken/n/n2f910545d25d)


「流浪の月」は、事実と真実の違いを鋭く描いていると思います。
事実とは、客観的に見て間違いのないことです。文が更紗を連れ去ったという事実は、誰が見ても変わりません。しかし、真実とは、主観的であり人によって異なる捉え方があります。更紗にとっての真実は、文が自分を救い出した存在であることです。

この違いが物語の深みを増しています。事実だけを見ると、文は非難されるべき存在ですが、更紗の真実を見ると、彼は救いの手を差し伸べた善意の人なのです。この二重構造が、読者に深い感慨を与えます。

分かってもらうことの難しさ

「流浪の月」は、他者に自分の真実を分かってもらうことの難しさを描いていると思います。更紗は、心の中でも目の前にいる人に直接「分かって分かって分かって…私はかわいそうな子じゃないよ!!!!」と叫び続けます。最終的に辿り着く終着点は切ないなと思いました。でも、それが幸せなのかなとも感じます。

何気なく感じる「分かってほしい」という思いが、どれだけ難しいかを再認識させられました。そして、他者の視点を理解し、自分の視点も見直すことの重要性を教えてもらった気がします。

「流浪の月」感想レビューまとめ

「流浪の月」は、人間関係の複雑さと、視点の違いによる真実と事実の捉え方の違いを深く描いた作品です。更紗と文の関係を通して、他者に自分の真実を伝える難しさ、そして理解し合うことの重要性を教えてくれます。

「流浪の月」は、人間関係の本質を問いかけられているような心にずっしりと残る作品です。

映画と小説がありますが、私は小説の終わり方が好きでした。映画は、少し暗い影を残すような終わり方ですが、小説は、ほっこりして終わるのでそれも小説が好きな理由です。



小説を読み始めると次が読みたい次が読みたい、と凪良ゆうさんの世界に引き込まれていきます。一瞬で読み終わりました。私はこの本をきっかけに凪良ゆうさんの作品を読み始めて今では好きな作家さんの一人になりました。

感受性が豊かな方には合う作家さんなのではないかなと思います。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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